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小川洋子さんの新刊本


■ 最果てアーケード    講談社    (2012年6月)
■ みんなの図書室    PHP研究所 (2011年12月)
■ 小川洋子の「言葉の標本」   文芸春秋  (20011年9月)
■ 人質の朗読会    中央公論新社 (2011年2月)
■ 妄想気分    集英社 (2011年1月)
■ 小川洋子対話集 文庫版 幻冬舎(2010年8月)

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小川洋子原作「博士の愛した数式」は2006年小泉尭史監督によって映画化された。
小泉尭史監督は黒澤明監督に28年間師事し、助監督を務めた。小泉監督の映画作品は4作品である。
  • 雨あがる(2000年 監督)
  • 阿弥陀堂だより(2002年 監督/脚本)
  • 博士の愛した数式(2006年 監督)
  • 明日への遺言(2008年 監督)
小泉監督の映像は、美しく、そしてゆったりした場面展開で、「博士の愛した数式」を映画化するにあたって最も適任の監督と言えると思います。原作者小川洋子さんはその撮影現場である静岡県駿東郡小山町(注1)に赴き、その模様をエッセイ集「犬のしっぽを撫でながら」で次のように書いています。

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ろそろ桜が散りはじめようか、という季節、私は静岡県のローカル線に乗り、小山町へ向かっていた。土曜日の午後で、電車の中は部活動帰りらしい高校生でにぎやかだった。
商店街もバスターミナルもない小さな駅で降りると、改札口に向かって手を振る、プロデューサーの荒木さんの姿が見えた。この小山町で映画、「博士の愛した数式」の撮影が行われているのだ。細い坂道を上がっていくと、不意に視界が開け、トラックやクレーンが飛び込んできた。大勢の人々が忙しく働いていた。その向こうに博士が住む家が建っていた。

なぜか私は幼い頃何度も訪ねたことのある場所へ、久しぶりに戻ってきたかのような気持ちになった。壊れた呼び鈴、革の寝椅子、傷だらけの食卓、ヨーロッパ製のコーヒーカップ、手回しの鉛筆削り、すりきれたベッドカバー・・・・・・・・・。何もかもすべてが小説を書いている時、私の頭の中にあったのと同じ姿がそこにあったからだ。作り物なのに、長い年月、博士の体温を吸い込んだ風合いが、隅々まで行き渡っていた。一切打ち合わせなどしなかったのに、監督はどうして、私の中にだけあったイメ-ジをこんなにも鮮やかに再現できたのか。それが不思議でならなかった。   
 
 博士の書棚に置かれた本たちは、森田先生(注2)の書棚からお借りしたものだった。博士の勉強机は、広大な数の世界を前にしたときの人間のささやかさを象徴するように、こじんまりとしたものだった。窓からは、風に散る桜の花がよく見えた。

 撮影の準備が整い、正面から寺尾聡さんが歩いてこられた。博士だった。素数を愛し、オイラーの公式を愛し、子供と阪神タイガースを愛した博士が、活字の中から、生きた人間に生まれ変わって、私の目の前に現れたのだ。 
 世界は驚きと歓びに満ちている。まさに、私はこの言葉を、胸に深く刻みつけたのだった。


注1:小山町
 小山町(おやまちょう)は、静岡県の最北東に位置し、富士山を有する駿東郡の町である。
富士スピードウェイがあり、また、また、映画の撮影場所として密かに知られている。交通機関は御殿場IC、JR東海では御殿場線駿河小山駅の駅がある。富士山がきれいに眺望できる町で、町並みも静かで自然に恵まれていて、「博士の愛した数式」の格好の舞台として選ばれたものと思われる。

注2:森田先生
  2003年、4年 日本数学会理事長を勤めた森田康夫教授。
  東北大学大学院理学研究科教授で数学の専門家。
  2005年、数学の美しさを一般の人々に広く広めた功績で、小川洋子が日本数学会出賞
  を受賞した時一緒に同席した数学の先生。


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プロフィール
HN:
つぶやき博士
性別:
男性
自己紹介:
何気なく本屋で手に取った本が「博士の愛した式」。以来小川作品の虜になる。小川ファンの9割は女性と思いますが、私はオトコ、しかも70才近くのおじいさんです。
みんなに嫌われる数学はわりと好きな理工系ですが、小説であれ、数学であれ、美しいモノには惹かれる今日この頃です。
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