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小川洋子さんの新刊本


■ 最果てアーケード    講談社    (2012年6月)
■ みんなの図書室    PHP研究所 (2011年12月)
■ 小川洋子の「言葉の標本」   文芸春秋  (20011年9月)
■ 人質の朗読会    中央公論新社 (2011年2月)
■ 妄想気分    集英社 (2011年1月)
■ 小川洋子対話集 文庫版 幻冬舎(2010年8月)

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小 川 洋 子 の 小 説 作 法
「美しさ」が基調 数多くの小川洋子作品の底に流れているベースは明らか
に「美しさ」である。美しい小説である。
悪意、毒が盛り込まれている小説でも、美しく、透明感
がある。小説によくあるドロドロとした生臭さは全く出てこな
い。「偶然の祝福」の短編「キリコさんの失敗」や「博士の愛
した数式
」はメルヘンとは一味違う心地よい美しさが読者に
伝わってくる。全体に流れる美しさと心地よさが小川洋子の
魅力である。
美しさへの追求は小川洋子さんにとって数学や科学への
興味とつながっている。数学がもともと美しさが基調である
ので必然だったに違いありません。
隠された毒、不気味さ  例えば、妊婦した姉に対する生理的な嫌悪を感じる妹
を描いた「妊娠カレンダー」。農薬に汚染されている可能性
のあるアメリカ産のグレープフルーツジャムを、危ないかも
しれないと思いながらも姉に食べさせ続ける。この不気味
さ、怖さがたっぷり盛り込まれている。女性の中に潜む母
性に対しての違和感を不気味に描く。
このような隠された悪意、不気味さ、毒が多くの小川作品
に出てくるのがもう一つのの特徴でもある。これを好みと
するか、不快とするかは読者次第である。
モーツアルトのように 多くの作家は執筆前にテーマを決めて取材、文献調査
を重ねてストーリーを練り上げ、ストーリを組み立て最後
の結末を用意して執筆にとりかかる。しかし、小川洋子
さんはこのようなスタイルをとらない。「アンネ・フランクの
記憶
」、「博士の愛した数式」では確かに事前の取材を
行っているが、これは数少ない例外である。
ある風景、場面を経験したことをイメージに浮かん時、
それを素直に言葉に置き換えいく。ストーリーも結末も
イメージに浮かんだままに展開していく。
しかし、イメージをそのまま文字にしたら、独りよがりと
なり、素人の作品となってしまう。小川洋子さんはやや
冷静に観察し、文字化する際にまた、文字が新たな
展開を生んでいく。
なので、最後の結末も書き終わった時に初めてわかる
スタイルとなっている。小川さん自身は最初の構想通り
の小説になった小説はつまらない失敗作と言い切って
いる。このような創作スタイルはいわばモーツアルト風
である。モーツアルトは天才と呼ばれ、努力して苦闘し
て作曲したのでなく、神から聞こえる天の声を音符にして
、音符から派生するイメージを膨らまして作曲したと言わ
れている。小川さんの執筆スタイルもこれに通じている
ように思える。
決して突出しない
演出
小川さんの作品には、長編小説や推理小説に出てくる
大きな大げさなクライマックスとか、ヤマ場、ドラマチックな
結末は決して出てこない。
ラブシーンの場面ではたいてい2行以内で終わってしまう。
このため、大ベストセラー作家にはなりえず、どちらかと
言えばマニアックな読者に受けが良く、しかし、一旦ファン
になったら、中毒となってしまう不思議な作家と言える。
突出しないのは、ストーリだけでなく、登場人物、風景、
道具すべての点であるモノが際立って目立ったり、強烈
な印象を持つことはなく、抑制を効かしてある。。この点、
通常の小説では逆に強烈な印象を持つように、主人公を
際立たせようよう執筆するのと対極にある。
わたしの経験では、このようにドラマチックな展開でない
ため、読んだ小説の中身を忘れてしまうことがしばしばで、
しかし、2度読んでも読んでいるその瞬間はすっかり惹か
れてしまう不思議な感覚を味わっている。
とんでもない卓抜な
題材 
凡人には想像さえできない題材〈ネタ)を提示してくれる
のも小川洋子さんの魅力の一つである。「薬指の標本」、
誰も薬指を標本にするなんて思いつきもしなし、挙句の
果て楽譜の音まで標本にする始末である。この文庫本
に出てくる「六角形の小部屋」の短編では、六角形真鍮
製の小部屋の中ででただ一人語るだけの部屋が舞台で
ある。このような珍奇な商売があるとは思えないが、なぜ
か引きずりこまれてしまう不思議さがある。
主人公の名前が
つけられていない小説
普通の小説では名前が付けられた主人公が登場する。
山崎豊子「白い巨塔」では財前五郎、東野圭吾「容疑者x
の献身
」では湯川学。小説のタイトルにも主人公の名前が
使われるくらいである。夏目漱石の「三四郎 」など。
ところが、小川洋子さんの小説に出てくる主人公は一部の
例外「ミーナの行進」などを除き、ほとんど小川作品には
固有名詞の名前はつけられていない。「薬指の標本
では指を負傷した若い女性、妊娠カレンダーでは姉妹
、「博士の愛した数式」では家政婦という風に表現され、
「私」、「わたし」の一人称で統一されていて、名前はつけ
られていない。しかし、傍をかためる人物、恋人、友達、
同僚、家族にはすべて名前がつけられている。
薬指の標本」では標本技術師は弟子丸と言ったように
名前がつけられている。
なぜ、主人公に名前をつけないか?ずっと疑問だった。
どの作品にも名前がないので、明らかに意図的である。
主人公だけを突出させないという小川流に理解はでき
ますが、いまだに良くわかりません。
小川洋子さん、機会があったら、この疑問に答えて下
さい。お願いします。
境界線がない  小川さんの小説でしばしば出てくるのは、生と死、現実
と幻想、流れ、風景などに境界線がなく連続したものと捕
らえているふしがある。
例えば、「冷めない紅茶」ではあの世とこの世に境界線が
なく、登場人物は何食わぬ顔で行ったり来たりしている。
貴婦人Aの蘇生」では動物の剥製が主題になっている
が、剥製は死んでるようで、死んでいない不思議な雰囲
気を醸しだしている。確かに、生と死ははっきり分かれて
いるのでなく、連続したものに違いない。
場面や風景の移り変わりでも、忽然と現れることはなく、
静かにパノラマのようにほとんど連続して流れて行く。
安定した執筆ペース 作家にとって1日平均何枚のペースで書くかは結構重要
なことと言われている。超ベストセラー作家やシリーズ
ベストセラー作家などは信じられないペースで執筆するし、
逆に数年に一度出版の作家はゆっくり過ぎる位のペース
で書いていく。
執筆時間は午前中からはじめて夕方五時ぐらいまでと
決めているそうで、また、一つの作品を書いている時は
それに集中して、他の作品のことは考えないという。
器用な作家でないと自ら語っている。
小川洋子さんは多作作家でもなく、少作作家でもない。
小川洋子作品リストにあるように1989年の初出版
から2008年まで1年で約2作品の出版となっている。文
庫本化を含めればその倍近くになるが。自身の言によ
れば、1日平均4~5枚のペースで、休むことなく書き続
けているという。慌てず、騒がず、欲張らず安定したペース
の執筆態度が静かで美しく、透明感のある作品が生まれ
てくるモトになっていると思われる。

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プロフィール
HN:
つぶやき博士
性別:
男性
自己紹介:
何気なく本屋で手に取った本が「博士の愛した式」。以来小川作品の虜になる。小川ファンの9割は女性と思いますが、私はオトコ、しかも70才近くのおじいさんです。
みんなに嫌われる数学はわりと好きな理工系ですが、小説であれ、数学であれ、美しいモノには惹かれる今日この頃です。
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